手塚治虫ゆかりの地を訪ねて―

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(手塚ファンマ ガジンvol.179掲載)
第8回 旧梅田駅 コンコース、解体へ
   
 アーチ型の天井にレトロなシャンデ リア。ドームを囲う唐 草模様のレリーフ。そしての四神のモザイク壁画…。阪急ビルのシンボル的存在だった旧梅田駅コン コース。ここはその昔、阪急電車の乗降場でした。そして、手塚先生が昭和20年8月15日、終戦の日を 迎えた場所でもあります。

 ぼくはその夜、自宅の 宝塚から、阪急電車に乗っ て大阪へでていった。車内 はガランとして幽霊電車のようにさみしかった。「あっ、大阪の町に灯がついている!」ぼくは目を見 はった。阪急百貨店のシャンデリアが目もくらむばかりに 輝いている。何年ぶりだろう!灯がついたのは。「ああ、ぼくは生き残ったんだ。幸福だ」これが平和 というものなんだ!
(COM’68年1月号 収録 「ぼくのまんが記 戦後児童まんが史1」)

 このエピソードはそのま ま『紙の砦』のラストシー ンとして描 かれています。1929年に日本初のターミナル・デパート(鉄道駅を併設した百貨店)として建 てられ、ほぼ、建築時そのままの外観を残す建物の中でも、このドームはよく当時の雰囲気を残してい ます。現在の阪急梅田駅はJRの北側にありますが、 1971年までは現在の阪急グランドビルのあたりに駅があり、改札を出るとすぐ、このシャンデリア が煌煌と輝いていたというわけです。また、『COM』連 載時の挿し絵で、シャンデリアは今のものと同様になっていますが、阪急の社史によれば、大シャンデ リアは金属回収令により供出させられていたそうです。し たがって、手塚先生が見たものは、もう少し小振りの別の照明だったかもしれません。





『ブラック・ ジャック』「アリの足」のラスト シーンの背景に
描かれている阪急ビルディング(南側から見たアングル)


 ちなみに手塚先生は、大阪市街 地へ行き来する場合 (大学時代は毎日)必ず通るこのターミナルビル近辺が思い出として強く残っているのか、作品中に3 回登場させています。ひとつは『どついたれ』で、美保が 拘留されていたのが曾根崎警察署であった、という設定。二つ目は『ブラック・ジャック』「アリの 足」のラストで小児麻痺の少年(ケン一)が辿り着いた場所 が大阪駅前であること。(背景に阪急ビルの「阪」の字と阪急のロゴマークが描かれています。)三つ 目は『アドルフに告ぐ』で、仮釈放された峠草平が仁川警 部と一緒に、彼の自宅に向かおうとするシーン(話す二人の後ろをランプの部下が尾行しながら「やつ は郊外電車に乗る気です。」などと報告しているシー ン)。ここで、二人が向かっているのも、おそらくはこのターミナルビルでしょう。

 しかし、ついにこの梅田の歴史建築に幕が引かれるときが来てしまいました。阪急百貨店は全面的な 建て替えが決まっているのです。今年8月中旬より工事が 開始され、9月中旬には旧梅田駅コンコースも閉鎖とのこと。これで手塚治虫ゆかりの地がまたひとつ 姿を消すことになりました。


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