2009年3月16日
産経新聞夕刊 (関西版)4面
手塚治虫と大阪の輝き(弘本
由香里・大阪ガスエネルギー文化研究所)
戦後日本を代表する創造者の一人、漫画家・手塚治虫。
手塚が生まれてから約25年間を過ごした関西には、
手塚作品を貫く感性と哲学を育んだ数々のスポットが存在する。
その足跡を追って、研究誌「虫マップ」をつくっているのが、
田浦紀子さんである。先日、ある会で田浦さんを囲んで
「手塚治虫と大阪」についてお話をうかがう機会を持った。
手塚の曽祖父が福沢諭吉らとともに学んだ幕末の適塾
や除痘館跡、手塚少年を星の世界に誘った旧友の営む石原時計店、
旧友と通った大阪市立電気科学館のプラネタリウム。中之島の阪大
医学部生だった頃演劇の公演をした大阪朝日会館。大ヒットとなっ
た「新寶島」の出版社があった松屋町界隈など。作品と照らし合わ
されて、創作の背景が浮かび上がってくる。
田浦さんが話題の最後に取り上げたのが、「紙の砦」
のラストシーン、終戦の日に大阪に灯る街の明かりを見て漫画家に
なることを誓ったエピソードだ。阪急梅田駅に降り立った手塚が見
たものはコンコースに輝くシャンデリア。実は、終戦時にシャンデ
リアは無かったはずと田浦さんはいう。けれど、その輝きに平和へ
の希望を託した手塚の思いは痛いほど伝わってくる。惜しくもコン
コースは、阪急百貨店の建て替えのため、先年解体されたが、手塚
が込めた万感の思いは忘れたくない。
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