前回紹介した電気科学館のプラネタ
リウム。これに関し
て、興味深い情報が手塚治虫メーリングリスト(ネット上の手塚ファンサークル)で話題にあがりました。
手塚先生が好物だったお菓子が新聞記事等で紹介され
ていたというのです。その名も「千成一茶」の銘菓「プラネタリューム」。記事によると電気科学館の売店
で戦前に販売されていたお菓子を現在、千成一茶(大
阪市都島区)が復刻販売しているとのこと。また店主の大原時子さんの手元には「手塚先生からのお礼の手
紙」が残っている、といった内容。
手塚先生が少年時代このお菓子を好きだったなんて初耳です。加えて、包装紙にツァイスU型プラネタリ
ムが描かれていることといい、そのレトロさといいす
ご〜く興味がわきます。先生の弟・手塚浩さんから銘菓「プラネタリューム」について、次のようなメール
をいただきました。
銘菓「プラネタリウ
ム」は私も食べたことがあり
ます。かなり高価なものだったし、治虫は小学生だったから、母親が同行したときでなければ買えませ
ん。ただ、兄弟で一緒に電気科学館に行った際、母親の依
頼により一箱買って帰ってきたことがありました。既に甘いものが一般の店頭で目に付きにくくなって
いた当時、プラネタリウムを観に行けばそこで珍しいお菓
子も購入できるという、ある種の満足感を味わうことができたのではないでしょうか。
それは、7〜8cmくらいの縦長の、今で言うとクッキーに近い干菓子で、表面には砂糖粒がまぶし
てあり、その味は洋風でもなし、和風でもなし、という中
庸的なものだったような気がします。ギャラクシーの図柄が印刷されたセロファンに一つ一つ包まれて
いて、箱入りで販売されていました。「プラネタリウム」
というシャレた名前の効果もあって、「お遣い物」としても見劣りするようなものではありませんでし
た。なにしろ、戦争さなかの「贅沢は敵だ!」と叫ばれた
非常時に、特に高級な菓子類になると一般庶民はそうそう口に出来るものではありませんでした。「プ
ラネタリウム」も、乏しい材料であれこれ工夫して、なん
とかサマになるように苦心して作り上げたのでしょうね、きっと。
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