手塚先生の母校・北野高校でおこなわれ
た岩倉哲也先生の講演
「手塚治虫は六陵人!?無視できない手塚治虫史のウソ」に参加して参りました。
受付でレジュメと一緒に配布されたのが
このイラスト入りカー
ド。アトムが北野の校章(六稜の星)入りの旗をかついでいます。ここがポイント。本来は「六稜」が
正しいのです。ところが手塚先生はどの文献でもことごと
く「六陵」と書いている!北野中学時代に結成した「六陵昆蟲研究会」も「六陵」。わざとそう書いた
のか単なる間違いなのか、今でも真相は藪の中なのです
が…このような「間違い」が実は手塚治虫史にはたくさん隠されている、その様々な間違いを検証しな
がら、もう一度手塚治虫像を見つめなおそうというのが今 回の講演のテーマだったのでした。
手塚治虫史に間違いや誤解が多い理由の
ひとつは、手塚先生の
話にはリップサービスが多いこと。手塚先生は相手を喜ばせるために話をおもしろおかしく語ります。
そのフィクションの積み重ねがいわゆる「手塚伝説」を形
成している事実は否めません。有名なところでは「生前年齢を2歳偽っていた」「本当はいじめられっ
子ではなかった」などがあげられます。
|