手塚治虫ゆかりの地を訪ねて―

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(手塚ファンマ ガジンvol.175掲載)
第4回 蛇神社

 『モンモン山が泣いてるよ』の舞台となったことで有名な「蛇神社」。手塚先生の少年時代のイメー ジであろうシゲル少年と、蛇神社のヌシ、ヘビ男さんとの 心の交流が描かれています。この短編は、手塚先生が愛した御殿山への郷愁と「開発で山が泣いてい る」というメッセージが凝縮されており、手塚イズムがたっ た30ページの中に余すことなく描かれた名作といえるでしょう。手塚ファンの間で蛇神社が注目され るのは、マンガにはっきりと描かれた場所だから、という ことと、この作品のテーマにあるのだと思います。

 この物語では蛇神社のそ ばにポプラの木があって、 そこへポプラ 相撲のための葉を取りに行ったという設定になっていますが、実際にここに生えているのは、樹齢何百 年にもなる見事なイチョウの巨木でした。この大木は宝塚 市の保護樹木に指定されています。
 
 「モンモン山」とは、いうまでもなく宝塚の御殿山のことなのですが、先生の弟・手塚浩さんからと ても興味深いお話を伺いました。

 「モンモン山」という 名前の発祥は、父・手塚粲です。私達兄弟が、親の言う ことを聞かなかったり、悪戯などした場合に父親が使った「脅し・諌め」のせりふ。「ほら、 聞け。遠くでモーンモーンと鳴く声が聞こえてだんだん近寄ってく るだろう。あれはモンモン山がお前たちを怒っているのダ。いつまでもそんな我がままを言う (する)と、モンモン山に連れて行かれるゾ。そら、もうそこまで やって来た!」などと言われて、こわがったものです。きっと、父親も小さいころ悪戯などし た際に、そのまた父親(私達の祖父・手塚太郎)にそういわれて脅 かされたのでしょう。
(手塚浩氏の手紙よ り)

 『モンモン山が泣いてるよ』では軍用道路を造るために蛇神社は取り壊され、ポプラの樹も切り 倒されたという話になっていますが、ここは今でも民家の脇に ひっそりと残っています。ただ、’95年の阪神淡路大震災によって祠が倒壊し、何年もの間その まま放置されてきました。しかし、 ’98年の秋、地元の方々のご協力によって蛇神社が再建されたのです。当時の新聞では「手塚神 社再建」と報道されておりました。『モンモン山が泣いてる よ』に登場する蛇神社そっくりのヤシロが再現されていたのはさすがに私にとって嬉しいことでし た。

 蛇足ながら、『モンモン山が泣いてるよ』の冒頭で登場する二人のガキ大将(春巻と川縞)に は、同級生で実在のモデルがいらっしゃるそうです。そして、池 田附属小学校の校庭には実際ポプラの樹があり、秋になると「ポプラ相撲」が華々しく繰り広げら れたのも実話だそうです。ただし、「ゴシューギ」と称して 勝った者に鉛筆をあげなければならない、というのは手塚先生お得意のリップサービスと考えるの が自然でありましょう。


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