手塚治虫ゆかりの地を訪ねて―

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(手塚ファンマガジンvol.191掲載)
第20回 池田附属小学校
 
 大阪府池田市にある阪急学園池田文庫。 現在図書館となっ ているこの場所に、かつて手塚先生が通った小学校がありました。昭和10(1935)年4月、大阪府立池田 師範附属小学校に入学。現在の大阪教育大学付属 池田小学校です。担任の乾秀雄先生から綴り方教育を受け、そこでストーリーテリングのおもしろさを学び取っ たと言われています。池田附属小学校は明治42 年に、豊能郡池田町建石に開校。その地名から校舎は「建石校舎」と呼ばれ、手塚先生は一年生から五年生の一 学期までをこの校舎で過ごしました。その池附時 代の歴史を偲ぶものが池田文庫の裏にひっそりと残されています。

 池田文庫の裏、新阪急ホテル池田寮の門をくぐると写真のような石段があります。この石段はかつて池田附属 小学校の運動場に続いていました。まわりには当 時からの桜の樹や石垣。そして、右手の立派な一本松もいうまでもなく当時からのものです。




池田文庫旧玄関
 また、入ってすぐ右手の木造の小さ な建物。黒ずんだ木の 色やガラス戸にその年月を感じることができます。これは、建て替え前の池田文庫旧玄関なのです が、実はその姿かたちも、手塚先生が通った池田附属小学校の玄関部をそのままに再現されています。阪急 電鉄の創始者・小林一三の物資を大切にとの意向に沿 い、池田附属小学校の建石校舎の廃材がそのまま使用されているのです。また、池田文庫敷地内には、同じ く廃材100%で建てられた茶室・古彩庵がありま す。(古材にちなんで命名)こちらは現在でもおけいこ講座などに開放されています。

 ところで、『モンモン山が泣いてる よ』で小学校の校庭で 「ポプラ相撲」を繰り広げる話がありますよね。この話は実話です。弟・手塚浩さんや同級生の大森俊祐先 生の話によると当時、校庭の西側には本当にポプラ並 木があったそうです。

 手塚先生が小学校五年生の二学期、それまで使っていた建石校舎から新しい鉄筋コンクリート製の城南校 舎に移ることになりました。大森俊祐先生の話による と、夏休み中にこの校舎まで徒歩30分の道のりを、それぞれ各自の机や椅子を運んで引っ越し作業をした そうです。現在その場所は池田市民病院となっていま す。

■この連載でも大変お世話になっていた大森俊祐先生が8月にご逝去されました。三年前、大森先生に池田 のゆかりの地をご案内いただき、さまざまなエピソー ドをお聞きしたのが忘れがたい思い出です。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

池田文庫裏の小道。
ここも当時からのもので昼休によくここを通っていたそうです。(大森俊祐先生談)



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