手塚治虫ゆかりの地を訪ねて―

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(手塚ファンマガジンvol.194掲載)
第23回 誕生の地・岡町
 
 手塚先生は1928年11月3日、大阪 府豊能郡豊中町 (現在の豊中市岡町)で生まれました。「手塚治虫誕生の地」を特定するのは、現在販売されている手塚関連書 籍からは到底不可能でしょう。しかし、大森俊祐 先生からお聞きしたところ、現在の豊中市本町付近ではないかとのこと。豊中市本町というのは、岡町駅ではな くほとんど豊中駅に近い位置にあります。戦前の 地図によると、当時の行政区画では豊中駅付近まで「岡町」となっていたため、「誕生の地は岡町」となったの でしょう。

 手塚先生は講演などで「岡町の相生町というところで生まれた」と語っていました。それは、母親の文子さん が折にふれて繰り返していた言葉によるものだそ うで、弟・手塚浩さん、妹・宇都美奈子さんからも同様にお聞きしております。ところが、過去も現在も豊中に 「相生町」という地名は存在しないそうです。た だ、豊中駅の西側に「相生通り」と称した区画があり、そこに叔父・手塚昇氏(手塚粲氏の弟)の住居があった とか。そのため、両家は頻繁に行き来していたの では、と推察いたします。
 5歳で宝塚に転居するまでの間、手 塚家は同じ豊中市内で 一、二度転居したといわれています。その二軒目の家が岡町と曽根の間、南桜塚にある東光院(萩の寺)近 辺にありました。手塚浩さんは次のように語っていま す。

思い出す風景は、かまど が置いてあった比較的広い 土間と、阪急電鉄岡町駅の下り線側にあった引き込み線と道路との境界に設置された黒く焼いた枕木で 造られ た柵くらいです。それと、治虫の妻になった岡田悦子さんの家族が住んでおられた屋敷は、手塚家とは 別の区画にあり、お互いにわりあい近くに位置していたと のこと。近くにあったお寺というのは、今でもその名が知られる萩の寺で、この寺で読経の際に鳴らさ れる木魚のポクポク音が、よく聞こえたそうです。治虫に はその音が妖怪じみて聞こえて、あまり好きではなかった一方で、怪談的な物語やロマンの資料にも なったことは想像に難くありません。

東光院(萩の寺)


▲カトリック豊中教 会
 余談になりますが、豊中駅から徒歩 10分。国道沿いにあ るカトリック豊中教会が、『スリル博士』に登場するセント・ユダ教会に酷似しています。(全集版 P.226)この豊中教会は1939年築の木造の聖堂建築。『スリル博士』が描かれた1959年はちょ うど手塚先生が結婚した年であり、岡田悦子さんが岡 町に住んでいらっしゃったことから考えても手塚先生が豊中を訪れる機会が多かったのではなかと推察いた します。

■虫マップの連載は今回でひとまず終了です。今後、折があればその都度書きたいと思っております。ご愛 読いただきありがとうございました。


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