手塚治虫ゆかりの地を訪ねて―

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(手塚ファンマ ガジンvol.176掲載)
第5回 猫神社と 皇太神社

 手塚兄弟の間で「猫神社」と呼 ばれていた千吉稲荷。旧手塚邸 から北西約 300メートルの場所にあり、「擂鉢池」周辺とともに、少年時代、手塚兄弟の昆虫採集の ルートでありました。弟・手塚浩さんの話によると、境内の中に樹液 が出ているクヌギが一本あり、夏場はそこに蝶や甲虫が集まるためよく兄弟で訪れたそうで す。御殿山がすっかり住宅街と化してしまった現在では、最も当時の 様子をとどめている場所でしょう。千吉稲荷について、手塚先生の小学校時代の同級生、大森 俊祐さんにもお伺いしました。
「小生の記憶に残っているのは、手塚君が本格的に昆虫採集に取り組む以前の、小学校二年生 の頃、彼の家のそばの溝で沢ガニ取りをしていて、足を延ばして千 吉稲荷の前の水路まで行って、沢ガニを探したことです。一面のレンゲ畑の美しかった光景が はっきりと印象に残っています。」
    
  地図をたより に訪れると「千吉大神参道」の看板が。田圃の真ん中に続く畦道が田舎の風景を思い起こします。 木々の間に続く細い石段の中に何本もの真っ赤な鳥居が続き、 その先に祠がありました。この千吉稲荷は、明治初期に火災が頻繁に起こったために火防(ひぶ せ)の神として祀られ、以後火事が無くなったとのこと。毎年8 月19日には、近くの川面公園で「千吉踊り」を奉納するそうです。

 そ れから、旧 手塚邸から東へ300メートルほど歩いた場所に皇太神社があります。木々の間に続く 石段、そして石造りの大きな鳥居の情景が、絶筆『グリンゴ』に登場する「護国神社」にそっくり なのです。(全集版3巻P.25、P.137)また、 P.117では村長が「皇太神社の宮司さん、あんた智恵者だ…」と語るシーンがあり、このネー ミングは宝塚の皇太神社に由来するのではないかと推測してお ります。『グリンゴ』ではアンデスの山奥で太平洋戦争の影をいまだに引きずる「勝ち組」の村が 描かれていましたが、宝塚の皇太神社は、戦時中「出征兵士」 を見送る場所でもあったとのこと。
「わが父・手塚粲少尉殿も、出征する時はこの神社で多数参集した村民を前に堂々と挨拶をし、挙 手の礼をして別れ ました。将校の帽子を目深にかぶり、金スジ三本に星一つの肩章を付けた真新しい軍服に長靴を履 き、腰にサーベルを提げた凛々しき姿は子ども心にもなかなか カッコ良く映ったのです。」と手塚浩さん。

 
 また、皇太神社へ行く途中に、 当時ドイツ人が住んでいた瀟洒 な西洋館が あったそうです。ここが『アドルフに告ぐ』のカウフマンと同じ名前なのです。これについて 手塚先生は、『アドルフに告ぐ』ハードカバー版(文藝春秋発行) のあとがきで触れていらっしゃいます。また、『アドルフに告ぐ』の冒頭シーン、芸者・絹子 の殺害現場が「兵庫県川辺郡小浜村の御殿山」となっているのは皆 様ご存知のとおり。このように、手塚先生は御殿山の想い出を最晩年に至るまで描き続けたの でした。


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