手塚治虫ゆかりの地を訪ねて―

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(手塚ファンマガジンvol.185掲載)
第14回 北野中学の昭和校舎
 
 1941年、手塚先生は大阪府立北野中 学(現、北野高 校)に入学しました。在学中は美術班と地歴班に所属。同級生の林久男さんや今中宏さん達と「六陵昆蟲研究 会」(注1)を結成し、「動物の世界」などの同人 誌を発行しました。マンガを描いたため軍事教練の教官からにらまれた、という話は『ガチャボイ一代記』など にも登場する有名なエピソード。その手塚先生が 4年間(※注2)過ごした旧校舎、通称「昭和校舎」は2002年に解体され、現在は新校舎と六稜会館が建っ ています。六稜同窓会のHPによると、解体の際 にはたくさんのOBたちが解体を惜しんで校舎の欠片を集めたそうです。

 70年の歴史に幕を下ろしたその昭和校舎ですが、北野高校では今でもその面影を見ることができます。正面 玄関の煉瓦造りのモニュメントは昭和校舎の屋上 飾り壁を移設したもの(写真参照)。また、新校舎には昭和校舎の時計盤が移設され、今も時を刻んでいます。 これ以外にも戦争中に米軍機の襲来を受けた際の 弾痕壁がメモリアルウォールとして保存されるなど、北野高校は昔の姿を今に伝えられるように工夫して設計さ れているのです。

▲「北中」記念碑
1931年竣工の昭和校舎屋上の飾り壁。
円形の窓に「北中」の文字がはめ込まれている。


 70年の歴史に幕を下ろしたその昭和校 舎ですが、北野高 校では今でもその面影を見ることができます。正面玄関の煉瓦造りのモニュメントは昭和校舎の屋上飾り壁を移 設したもの(写真参照)。また、新校舎には昭和 校舎の時計盤が移設され、今も時を刻んでいます。これ以外にも戦争中に米軍機の襲来を受けた際の弾痕壁がメ モリアルウォールとして保存されるなど、北野高 校は昔の姿を今に伝えられるように工夫して設計されているのです。

▲手塚先生が北野中 学時代に描いたデッサン (北野高校内に保管)
 さ て、その北野高校では 毎月六稜トークリレーという講演会が開催されます。北野高校のOBたちが講演されるこのイベント。 4月は「アトムの誕生日」ということで「手塚ウィーク」 とされていて、一昨年は、手塚先生の同級生、林久男さん、昨年は岡原進さんが講演されました。今年 は北野高校国語科教師で、手塚ファンクラブ会員でもある 岩倉哲也さんの講演があります。岩倉さんはFC会誌vol.155で「『新宝(寶)島』の真実」と いう投稿をされていて、描き版による足の抜け落ち等につ いて指摘された方です。かなりマニア度を期待できそうなので、皆様ぜひご参加を!
 
「手 塚治虫は六陵人!?〜 無視できない手塚治虫史のウソ」
日時:4月15日(土)午後2時〜 会場:六稜会館3階 阪急十三駅下車
会費:500円
詳細:六稜WEB(
http://www.rikuryo.or.jp/

※注1 本来は「六陵」ではなく「六稜」が正しいが、手塚先生は生涯 「六陵」と書き続けた。「六稜の星」は北野中学の校章。
※注2 当時の中学は5年制。しかし、終戦直前は1年繰り上げての卒業となったため、手塚先生は4 年で卒業した。


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