1941年、手塚先生は大阪府立北野中
学(現、北野高
校)に入学しました。在学中は美術班と地歴班に所属。同級生の林久男さんや今中宏さん達と「六陵昆蟲研究
会」(注1)を結成し、「動物の世界」などの同人
誌を発行しました。マンガを描いたため軍事教練の教官からにらまれた、という話は『ガチャボイ一代記』など
にも登場する有名なエピソード。その手塚先生が
4年間(※注2)過ごした旧校舎、通称「昭和校舎」は2002年に解体され、現在は新校舎と六稜会館が建っ
ています。六稜同窓会のHPによると、解体の際
にはたくさんのOBたちが解体を惜しんで校舎の欠片を集めたそうです。
70年の歴史に幕を下ろしたその昭和校舎ですが、北野高校では今でもその面影を見ることができます。正面
玄関の煉瓦造りのモニュメントは昭和校舎の屋上
飾り壁を移設したもの(写真参照)。また、新校舎には昭和校舎の時計盤が移設され、今も時を刻んでいます。
これ以外にも戦争中に米軍機の襲来を受けた際の
弾痕壁がメモリアルウォールとして保存されるなど、北野高校は昔の姿を今に伝えられるように工夫して設計さ
れているのです。
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▲「北中」記念碑
1931年竣工の昭和校舎屋上の飾り壁。
円形の窓に「北中」の文字がはめ込まれている。
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