旧宝塚ファミリーランド
(当時の宝塚新温泉)の敷 地内にあった
宝塚昆虫館に、手塚先生は少年の頃足しげく通っていました。当時、学芸員をしていた福貴正三
さんのところに毎日のように昆虫の話を聞きに行ったといいます。その福貴さんに、幸運にもお会いす
る機会に恵まれました。突然の訪問にもかかわらず、福貴
さんは気さくに応じて下さり貴重な資料の数々を見せて下さいました。その中に、手塚先生が少年時代
に描かれた昆虫の水彩画がありました。「日本産ヲサムシ
図録(図…手塚治蟲)」と筆で記された和紙に包まれていたのは9枚にわたる昆虫の精密画。計72
匹。写真はこの絵の中の一枚。先生のペンネームの由来と
なったオサムシ科のマイマイカブリです。メガネをかけたような顔、肉食であること、そして夜行性。
それが自分に似ているという理由で手塚先生は自分のペン
ネームを「治虫」と書くようになったとのこと。ちなみに当時、手塚先生本人は“治虫”をペンネーム
とは言わず、「雅号」と呼んでいたそうです。 |
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