手塚治虫ゆかりの地を訪ねて―

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(手塚ファンマガジンvol.190掲載)
第19回 適塾
 
 大阪・淀屋橋のビジネス街の一角にひっ そりと残る適塾。 現在の大阪大学の前身であり、『陽だまりの樹』の舞台のひとつとなった適塾は、幕末の大阪にあって多くの逸材を世に送り出してきました。手塚治虫先生の曾 祖父・手塚良庵もその一人です。 
 
 適塾(適々斎塾)は蘭学者・緒方洪庵が、天保9年(1838年)から文久2年(1862年)に幕府の奥医 師として江戸に迎えられるまでの24年間にわ たって開いた学塾です。現在、その建物は重要文化財に指定され、外装・内装ともにほぼ当時のまま残されています。
 
 狭い入り口を通り、靴をぬいで建物の中へ。中の様子は作品に描かれた絵、そのまんまと言ってよいでしょ う。福沢諭吉の掛け軸や、洪庵が使っていた薬箱、 ヅーフ・ハルマ、解体新書など当時を知る貴重な史料が数多く展示されています。一階の台所には「感想帳」が置かれていました。ノートは今年で80冊目。こ こで、適塾訪問の感想を一筆…。感想帳を読んでみると、「『陽だまりの樹』を読んで来ました」という人は意 外と多いんですね。



▲塾生大部屋 真ん中の柱に 刀傷がある


 急な階段を上って二階へ。良庵が転 げ落ちたあの階段で す!奥へ進むと学生大部屋。部屋の真ん中の柱には刀傷が。大鳥圭介が良庵の刀を振り回して柱に当てて いましたね。ここで当時何十人もの塾生が勉強し、寝起きしていたそうです。塾生の人数が多かったため に、一人あたり一畳分の面積が割り当てられるだけで あったとか。さらに奥の小部屋には、塾生約600人の「姓名録」が保存されています。この部屋で、『陽だまりの樹』に登場する手塚良庵の漫画のカットが額 に入れられて展示されていました。そして、その同じ額の中には手塚先生の写真も。手塚作品はここでも生 きていたのですね。


 ところで、『陽だまりの樹』が福沢 諭吉の『福翁自伝』を ヒントに描かれたことは有名ですが、ひもといてみると『陽だまりの樹』のエピソードそのまんま! の話が多いことに驚きます。例えば、福沢諭吉たちが仕組んだ遊女のニセ手紙に手塚良庵が騙されるエピソード。ニセ手紙には「鉄川様」と書かれていたそう で、なんとここまで事実だったとは!他にも、福沢諭吉が裸でいたところに八重夫人が現れて赤面した話、 豚を解剖したのち食べてしまう話、橋の上から小皿を 投げた話、船の上でアンモニア作った話など。これらは『福翁自伝』に書かれたエピソードを手塚先生が上手くアレンジして作品中に取り入れたものです。
 
 余談になりますが、緒方洪庵の子孫にあたる方も手塚先生と同じ北野中学出身。また、手塚先生が大阪大 学附属医学専門部に在学されていたことを思うと、適 塾との深い縁を感じずにはいられません。


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