大阪・淀屋橋のビジネス街の一角にひっ
そりと残る適塾。
現在の大阪大学の前身であり、『陽だまりの樹』の舞台のひとつとなった適塾は、幕末の大阪にあって多くの逸材を世に送り出してきました。手塚治虫先生の曾
祖父・手塚良庵もその一人です。
適塾(適々斎塾)は蘭学者・緒方洪庵が、天保9年(1838年)から文久2年(1862年)に幕府の奥医
師として江戸に迎えられるまでの24年間にわ
たって開いた学塾です。現在、その建物は重要文化財に指定され、外装・内装ともにほぼ当時のまま残されています。
狭い入り口を通り、靴をぬいで建物の中へ。中の様子は作品に描かれた絵、そのまんまと言ってよいでしょ
う。福沢諭吉の掛け軸や、洪庵が使っていた薬箱、
ヅーフ・ハルマ、解体新書など当時を知る貴重な史料が数多く展示されています。一階の台所には「感想帳」が置かれていました。ノートは今年で80冊目。こ
こで、適塾訪問の感想を一筆…。感想帳を読んでみると、「『陽だまりの樹』を読んで来ました」という人は意
外と多いんですね。
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▲塾生大部屋 真ん中の柱に
刀傷がある
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